2009年7月28日 11:05
ARテクノロジーを毎日の暮らしの中で実際に使えるようにするために、「AR Commons2009年度の活動指針と基本計画」をどう策定するか・・・考えていたところ、一冊の本と出会いました。7月20日にインディアナ大学出版局から出たばかりの、"
The World Is Open: How Web Technology Is Revolutionizing Education"です。著者はネット・テクノロジーの教育への応用についての研究の第一人者、
Curtis J. Bonk教授です。
Thomas Friedmanは"
the world is flat"と言いましたが、"The World Is Open"について
ジョージ・ルーカス教育財団のエグゼクティヴ・ディレクター、
Milton Chen 博士は、「インターネットにアクセスできる限り、誰もが世界中の最高の大学、ミュージアム、リサーチ・センタ--の情報にアクセスできる。Bonk教授はこの地球規模で起こっている教育資源の"再分配"が、世界の教育水準の底上げに貢献していることを証明してくれた」と、絶賛しています。
ここで、ちょっと立ち止まって私たちが直視しなければならないのは、「この地球規模の恩恵」が、実は「英語」という言語を理解することを前提としていること、また、インターネットにアクセスでき、かつ、世間で一般的なCPUを搭載したPCを所有し、また、誰もが使用しているブラウザをインストールするという条件を満たさない限りは享受できないという現実です。
ウェブ上における「非英語圏」の影響力は、日本語が良い例ですが、極めて限定的なものでした。日本語で、日本人に向けて考えられたサービスは、「ガラパゴス」と揶揄されながらもユニークで、技術的に最先端、かつ、面白いものが沢山ありました。しかし、残念ながら世界のデファクトにはなりません。同じく、日本の携帯電話は、日本で生活する外国人たちに「すごい!」と言われながらも、グローバル・スタンダードにはなっていません。
ひるがえってARを考えた場合、現在、同時多発的に生まれてきている様々な技術的シードは、ヨーロッパや英国、日本などから発信されたものです。USA発のものが、実は、少ない。これらの多くは大学やNPO、個人の開発者などがオープンソース・テクノロジーを活用することで可能となり、また、これらの開発者どうしが早い段階からTwitterなどを通じて、相互に連絡を取り合っているところが、一昔前の、「独占的」ウェブ黎明期とは大きく異なっています。
また、ARは必ずしも「言語」に縛られるものではない。言い換えるなら、高度に直感的で、コトバを使わないキラー・アプリケーションが生まれる可能性が高いために、非英語圏がデファクトを作ることが不可能でないことを示唆しています。これは日本にとって、またとない大きなチャンスではないでしょうか? 「
ガラパゴス」とか「
パラダイス鎖国」などと言っている場合ではないのです!
今、私たちが考えないとならないことは、ARという新しいプラットフォームの上で、再び孤立する道を選ばないことです。目先の利益や日本の市場、自社ユーザーの好みだけにとらわれて、慌ててアプリケーションやサービスを構築するのではなく、世界規模でパイ(市場)をできる限り大きくすることに貢献すべきでしょう。
そのために、すべての携帯キャリア、デバイス・メーカー、アプリケーション開発者が可能な限り情報を公開し、ユーザーと交流し、情報を共有できる場=Commonsが必要だと思うのです。その意味において、私たちの初年度の課題は、「ARにおける公共圏を定義すること」だと考えています。これには、デバイス・メーカーやアプリケーション開発者が、何をどこまで公開すべきか・・・の議論も含みます。
具体的なサービス・インへ向けた現実的な議論もワーキング・グループの中では進めていきますが、今後のARの可能性を阻害しないための、大きな枠組みの情報交換の場をAR Commonsは提供していきたいと考えています。